シアキス結局1公演も行けてないし、フランス?韓国?なにそれ??な、最近ラルク関係を全く把握出来てないカエさんですが、2011年問題だなんていうたいそうなものを名づけてもらってる件についてちょっと触れてみようと思います。
てか2011年問題って!3年間ラルクとしてのライヴがないことで問題になっちゃうのね…改めてラルクは色んな意味で大きいなぁーと思った。
まぁしょせん熱心でも熱狂的でもないからそんなこと言えるんだよと思われそうですが、たぶんそんな感じ(笑)否定も肯定も出来ません。
さてここから本題な感じで。
15周年ラニバーサリーのとき、昔の曲もいっぱいやってくれたけど、やっぱり今のラルクアンシエルが1番好きだと思った。
「All Dead」も「White Feathers」も「Dune」も、あのときのラルクが目の前にいる!!とは到底思えなかった。ただひたすらに苦しいと、切々と助けてと張り叫ぶのとは違う。
妖艶さと深さと圧倒的な演奏力の安定感を魅せられた。
昔の曲なのに、デジャヴではなく新たな世界を感じた。
やっぱりすごいなーって、昔のラルクも好きだけどやっぱり今のラルクが1番好きだって心底思った。
だけど20周年ラニバーサリーはどうなんだろう。
彼らは新たな世界を魅せてくれるのでしょうか。
それとも記憶の中のラルクをそのまま再現してくれるのでしょうか。
わざわざ「2011年までバンドとしての活動はありませんが解散でも活動休止でもない」と発表して現段階で解散をしないのなら、3年後に観るのは新たな世界でありますように。
「やっぱり今のラルクが好き」ってまた言わせてほしい。
20周年ラニバーサリーの定義が、記憶の中のラルクをそのまま再現するためのお祭りだったらそれはひどく悲しいことだと思う。そこまでして活動を続ける意味がない。
だったら1回終止符を打ってお祭り的な感覚でライヴを開催してくれたほうがいい。
LUNA SEAがそうであったように。12/24のLUNA SEAは理想の彼らだった。まさしく記憶の中のLUNA SEAを繰り広げてくれた。でも活動を続けるバンドが12/24のLUNA SEAと同じことをしてはいけない。
続ける意義をみせてほしい。
勝手な我が儘かもしれないけどカエ個人はそう思っています。
ラルクが長年バンドを続けられる理由として、4人が作曲者だからというのが主に挙げられるけど、
なによりもメンバーの柔軟さと許容範囲の広さと信頼度の高さがずば抜けてる気がする。
たとえばゆっきー作曲でもハイドさんが全然違う曲調にしちゃったっていう話しを聞いたりするじゃない?
「ここはこういう風にしたほうがいい」とかアドバイスしてくれたってインタビューで答えてたりするし。もちろん原曲者の意志が1番ていう曲もあるかもしれないけど、元の曲をそのまままるっと変えてしまうことを厭わないというかそういうことってお互いの信頼度がないとなかなか出来ない事だと思う。
もちろんお互いを認め合ってるからバンドを組んでるんだけど、ラルクはバンドという集団をきちんと全うしていて「ラルクという個性」を創り出している。
バンド活動と己の世界観のみを貫き通したソロ活動との落差があって(ソロとバンドとが)共鳴はしても一線を引いてるから並行できるのかもしれない。どちらにも強い依存はせず、でも収穫は怠らない。
言い方ひどいかもしれないけど…たぶん解散する理由がないんだと思う。その一番の理由となる要素がみつからないからラルクは活動を続けられるんじゃないかなーとか考えてしまう。
だけどそこでなぁなぁにされるのも嫌なので、貪欲に変化を望む所存でございますが。
3年間バンドとしてのライヴ活動をしないことが問題じゃなくて、その3年後のライヴでなにを魅せようとしているのかそこが問題となるわけなんでしょうか……だから2011年問題なの?!そういうこと?!?!
市川氏著者
『さよなら「ヴィジュアル系」〜紅に染まったSLAVEたちに捧ぐ〜』のなかで、市川氏がUNA SEAとXに対してにゃるほどな〜と思うことを書いていた。そしてそれは2011年のラルクにも通ずると思った。
カエさんはネタほしさに購入したけど(笑)興味がある人は立ち読みとかしてみちゃったらいいじゃない!
なかなか面白い。今まで発売された本の総括って感じだけど。
話ぶっとぶけど12/24でLUNA SEAはらしさをみせてくれたけど、ヒデサミで新たな世界をみせてくれたような気がするんだよなぁー。だからちょっと期待してしまう…まぁまたその話しは違うときにじっくりと。